伊弉諾神宮 |
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Report 1998.7.12 平津豊 Hiratsu Yutaka | |
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伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)の国生み神話は有名である。古事記によると二柱の神は天浮橋(あめのうきはし)の上に立ち、天沼矛(あめのぬぼこ)を海の上に脂のように漂うものの中へつきさして、ぐるぐるとかき混ぜると、こおろこおろと固まっていき、矛を引き上げると矛先から潮が滴り落ち、その潮がしだいに積もり固まってついに淤能碁呂島(おのごろしま)ができた。そこで伊邪那岐と伊邪那美は、国生みを行ったとある。そして最初に生んだのが淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)つまり淡路島、次に四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州と大八島ができた。 | |
このおのころ島と言われる場所が淡路島に3ヶ所ある。その一つが淡路町の絵島である。訪れた日が雨風が強い時であったせいか、絵島が目の前に現れた時は、ぞくっとするような霊気を感じた。自然にできた景観に間違いはないのだが、なぜかただならぬものを感じた。 | |
【絵島】 | |
二つ目は南淡町にある沼島(ぬしま)である。今回は訪れる事ができなかったが、ぜひ一度、行ってみたいところである。 | |
最後は三原町にあるおのころ島神社である。日本三大鳥居がそびえる古社である。小高い丘の上に本殿があり、巨木に囲まれた境内は閑散としていた。 | |
【おのころ島神社】 | |
淡路島にまつわる神話がもう一つある。いざなぎ神は神たる仕事も終わられ、病で崩じられた。そこでこの世から隠れて住む幽宮(かくりのみや)を淡路州に作ってそこに永久に隠れられたとある。その地が一宮町の伊弉諾神宮である。淡路の一之宮でありほとんどが官費で建てられている。大きく開かれた境内は、白石が敷かれ、まぶしいほどに明るい。まさに「白の神社」である。これに対し前述のおのころ島神社は「黒の神社」というところか。このような対比は日本各地でみられ、特に強烈なのは奈良の白の橿原神宮と黒の三輪大社であろう。天津神系が白、国津神系に黒が多い。明らかに異なった思想を持つ二つの民族がこの日本に存在していた事を示している。 |
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【伊弉諾神宮】 |
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北沢方邦氏によると、日本人の色の概念は、青、黒、赤、白の四色で成り立ち、青は水、命、日常的変化を表し、黒は土、闇、死、大地を表し、赤は火、再生、非日常的変化を表し、白は光、霊、超越性、天を表す色である。としている。そして樹木が青木→黒木→赤木→白木と変化するように、誕生→死→再生→光の循環を形成しているという。 (Photograph 1998.7.12) |
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