岩神神社のゆるぎ岩 |
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Report 2017.3.26 平津 豊 Hiratsu Yutaka | ||
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岡山県の赤磐市に、人の手で揺らすことが可能なバランス岩が存在し、「ゆるぎ岩」と呼ばれている。この「ゆるぎ岩」は、標高240メートルの岩神山の尾根(標高200メートル)に鎮座する岩神神社の御神体である。 この岩神神社に、2014年10月19日と2017年3月18日に訪れて調査したので報告する。 岡山から県道27号線を北に走り、惣分の丁字路で東に折れて257号線を2キロメートル走ると惣分の八幡宮が見えてくる。この神社を過ぎるとすぐ「岩神」と彫られた石碑が立っており、そこが入り口である。 |
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【石碑】Photograph 2014.10.19 |
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この八幡宮と岩神神社と岩神山頂上が南北に一直線に並び、岩神山頂上と岩神神社の距離と、岩神神社と八幡宮の距離がほぼ500メートルの等間隔の位置にあるのは偶然であろうか。 神社は、山頂で行われていた磐座祭祀が人々の生活の場に降りていく過程で形成された祭祀形態ではないかというのが持論であるが(拙著「イワクラ学初級編」参照)、ここでも同様の変遷が行われたのではないだろうか。惣分八幡宮の伝承を調べぬまま、軽々に論ずるのはよくないが、岩神山頂上で行われていた祭祀(山宮)が岩神神社の祭祀(里宮)に移り、さらに八幡宮での祭祀(田宮)に変遷していった可能性が高いのではないかと推測する。もちろんその場合は、八幡神は、後から勧請されたことになる。 |
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【地図上の位置】 2017.3.26 平津豊作成 |
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【岩門】Photograph 2017.3.18 |
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山道を20分ほど登ると分岐点に差しかかる。近道と表示されている方が元々の参道である。 この参道の両脇に岩石が飛び出しており、右手の岩石は割られている。元の姿は、道を塞ぐように岩石が配置されていたはずで、これはここから先の神域を示す岩門であり、結界石ではないかと推測する。 この岩門から100メートルの距離に岩神神社が鎮座している。 岩神神社の巨石群の他にも、岩神神社から30メートル北西にも積み重なった巨石がある。また、北東に100メートルの位置にも巨石群がある。今回は断念したがもちろん岩神山の頂上にも巨石がある。 |
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【参道途中の石組み】Photograph 2017.3.18 |
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【岩神神社から30メートル北西の巨石】Photograph 2017.3.18 |
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【岩神神社から100メートル北東の巨石群】Photograph 2017.3.18 |
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さて、その岩神神社の説明書が拝殿に置いてあったので、以下に転記する。 | ||
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「名称 岩神(ゆるぎ岩)
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船岩が落ちると悪病が流行るという伝承は、この船岩が祟り石の性格を持っていることを示している。 また、社伝では大国主あるいは八矛神が御祭神となっているが、ここで行われていた祭祀が、大国主が降臨する依り代としての岩石つまり磐座(いわくら)信仰なのか、岩石自体を神と崇める石神信仰なのか、詳しいことはわからない。 ただ、この岩神神社は本殿を設けておらず、岩石そのものを拝する形をとっていることから、この場所が、原始信仰の形を留めていることは確かである。 ※ここの「磐座」は古代祭祀遺跡としての狭義の磐座。 |
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さらに、赤磐市教育委員会が次のような立看板を掲げている。 | ||
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「赤磐市指定文化財 岩神のゆるぎ岩 惣分
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赤磐市教育委員会は自然に形成した巨石群と説明しているが、果たしてそうであろうか。節理と風化でこのような岩組みができるはずはないというのが私の考えである。もし、自然に形成されたとしたら、偶然に偶然が積み重ならなくてはならず、それこそ奇跡が起こった場合である。 これらの誤認は、「文化や技術は時代と共に進化する」という先入観に基づくものであり、「現在よりも優れた文化や技術が過去にあるはずがない」と考えているからである。 そこにある現実を、素直に観察して、柔軟な発想を行うことこそ、科学的なアプローチである。このあたりについて、例をあげながら見ていくことにする。 |
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【ゆるぎ岩】 |
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まずは、ゆるぎ岩である。 まさに奇異な光景であり、他に類をみない形状の構造物である。 イワクラ学会の同士である岡本静雄氏は、1番上の船岩がイースター島のモアイの形状と酷似していると指摘している。 確かに、モアイ像を横から見た形と非常に良く似ている。 縄文時代の土器がエクアドルで発見されたことから、縄文人が太平洋を越えてエクアドルに移住していた可能性が高くなっており、縄文人が広範囲に航海していたとしたら、日本とイースター島に共通のデザインが存在していても不思議はないのである。 |
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【ゆるぎ岩】Photograph 2014.10.19 |
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このゆるぎ岩は、1番上の船岩を含む3つの巨石が組み合わさってバランスが成立している。 その大きさは、神社の説明書には以下のように書かれている。 上岩(船岩) 長さ5.2メートル、幅1.8メートル、高さ0.9メートル 中岩 長さ5メートル、幅2.5メートル、高さ1.5メートル 下岩 長さ6.7メートル、幅4.6メートル、高さ3メートル (神社の説明書より) 船岩は、実測したがほぼ正確であった。 下岩は200トン以上、中岩は40トン以上、上岩は10トン以上の巨大な石組であり、古代にこのように大きな岩石を組上げる技術があったとは、にわかには信じられないであろうが、写真をよく見てほしい。3つの巨石は互い違いに方向を変えてが組上げられている。 花崗岩が節理で割れる場合は、縦横に規則正しく割れることがほとんどであり、このような残存景観とはなり得ない。 さらに、船岩が人の力でゆれるのは、1番上の船岩と2番目の岩石の接点が一点で接しているためであり、このような形が風化で形成されるとは考えられない。特に船岩の形は非常に複雑であり、おそらく2番目の岩石の上に乗せてからバランスが取れるように岩石を少しずつ割って整形したと考えられる。 |
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【ゆるぎ岩】Photograph 2017.3.18 |
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【ゆるぎ岩 北西から撮影】Photograph 2017.3.18 |
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【ゆるぎ岩 南から撮影】Photograph 2017.3.18 |
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【ゆるぎ岩 上面】Photograph 2017.3.18 |
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【ゆるぎ岩の天狗のつめ跡か? 盃状穴か?】Photograph 2017.3.18 |
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【ゆるぎ岩 下岩の隙間】Photograph 2014.10.19 |
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【第2の船岩】 |
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このゆるぎ岩の船岩と同じような形の岩石が対面にある。これを第2の船岩と名付けておく。第2の船岩は、長さ5.7メートル、広い部分の幅2.8メートル、狭い部分の幅1.3メートルと船岩より一回り大きい。この第2の船岩は、バランスは取っていないが、2つの岩の上に乗っており、中央部の下は隙間が空いている。節理で割れて風化して自然に形成されたと想定した場合、このような隙間が空いている状況をどのように説明するのであろうか。その部分だけ風化したなどという説明は納得できない。その場合、なぜ両脇の岩石は風化せずに残っているのであろうか。 | ||
【第2の船岩】Photograph 2017.3.18 |
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【神岩】 |
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拝殿を抜けて、正面に横たわっているのが神岩である。 神岩の大きさは、神社の説明書に以下のように書かれている。 長さ3メートル、幅1.8メートル、高さ0.9メートル(神社の説明書より) L字の形の岩石であり、斜めに傾いて、拝殿から拝すると、その下部を見ることになる。なぜこの岩石が「神岩」と呼ばれているのかは不明である。 |
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【岩神神社の正面 北西から撮影】Photograph 2014.10.19 |
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【神岩と烏帽子岩 上面】Photograph 2017.3.18 |
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【拝殿横の立石】Photograph 2017.3.18 |
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【八畳岩と畳岩】 |
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神岩の後ろにある巨大な石組が八畳岩と畳岩である。 八畳岩、長さ5.5メートル、幅4.3メートル、高さ3メートル 畳岩、長さ6メートル、幅3.1メートル、高さ2.5メートル (神社の説明書より) この100トンを超える巨石も下の岩石の上に乗っており、下部に空間が空いている。その様子は東側から見るとよくわかる。2つの大きな岩の上に乗っており、その2つの岩の間が空いている。 この畳岩は100トンを超える重さがあり、重機のなかった昔には、とても他の岩の上に乗せるということはできないと思うであろうが、果たしてそれは正しいのであろうか。 大阪城の石垣に使われている蛸石は、5.5メートル×11.7メートルで推定重量は130トンもあり、この蛸石を岡山の犬島から大阪まで運んでいるのである。どのような方法で運んだかは明確になっていないが、すくなくとも重機のなかった1600年頃に、100トン超の巨石を人力で運ぶ技術があったのは事実である。縄文時代にはその技術がなかったと、なぜ断定できるのであろうか。 |
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【畳岩の南東から撮影】Photograph 2014.10.19 |
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【畳岩の下部の空間】Photograph 2017.3.18 |
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【畳岩と八畳岩とと烏帽子岩 上面】Photograph 2017.3.18 |
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【畳岩と八畳岩の北西から撮影】Photograph 2017.3.18 |
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【烏帽子岩】 |
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八畳岩の南側には、台座の上に三角の岩石が乗せられている。この岩石が烏帽子岩である。 烏帽子岩、長さ3メートル、幅1.5メートル、高さ2.5メートル (神社の説明書より) 台座と烏帽子岩は1点で接しているだけでバランスをとっており、今にも倒れそうである。岩石の形は単純であるが、ゆるぎ岩に匹敵する奇異な光景である。 |
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【烏帽子岩 北西から撮影】Photograph 2017.3.18 |
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【烏帽子岩 北西から撮影】Photograph 2014.10.19 |
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【下部 南から撮影】Photograph 2014.10.19 |
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【岩の道】 |
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これらの巨石群の全体を見ると、拝殿前の神石から南東方向に27メートルもの長さの巨大な岩群であり、その幅は13メートルもある。 そして、畳岩の南東面から両脇に岩が並んだ道ができている。他の部分より一段低く、畳岩からゆるぎ岩に向うには、この「岩の道」を通ることになる。 この岩の道を想定すると、ゆるぎ岩の船岩と第2の船岩が、この岩の道の両脇に対称的に置かれていることが気になる。これは、テコの原理を示しているのではないだろうか。 テコの原理は、支点からの距離と重さの積(力のモーメント)が等しくなれば釣合うという法則である。つまり、岩の道から遠い位置に船岩があり、近い距離に一回り大きな第2の船岩が置かれているのは、岩の道を支点とした力のモーメントを示しているのではないだろうか。 巨石を動かすには、小さな力で大きな重量物を動かすことができるテコの原理は必ず必要であり、古代人はこの技術を知っていたはずである。 例えば1トンの巨石の下に11メートルの木の棒を潜り込ませ、巨石から10メートルの棒の下に岩石を置いて、もう一方の木の棒の端を100kgの力で押せば巨石は持ち上がる。100kgならば2人で押せば軽いだろう。 さらにこのテコの棒を10本用意できれば10トンの巨石を20人で持ち上げられる計算となる。 その支点の位置に気になる小さな石がある。これを中心石と呼ぶが、これを中心に考えるともっと複雑なメッセージが浮かび上がってくる。 船岩は、約10トン(100kN)、この重心と中心石の距離は約6メートル。 力のモーメントは、100×6=600 kN・m。 第2の船岩は約20トン(200kN)、この重心と中心石の距離は約3メートル。 力のモーメントは、200×3=600 kN・m。 烏帽子岩は、約5トン(50kN)、この重心と中心石の距離は約12メートル。 力のモーメントは、50×12=600 kN・m。 と全てのモーメントが等しくなる可能性がある(重量は筆者の推測である)。 この巨石群は、テコの原理を伝えるために造られたのではないだろうか。 また、この岩の道の方向は120度であり、冬至の日の出方向にあたる。 つまり、冬至の日には、日の出の太陽光がこの窪んだ道を伝って、畳岩を照らすことは確実だろう。 この巨石群を造った古代人は、冬至の日にこの山に登り、この光景を見て、衰えた太陽が復活することを祈ったのではないだろうか。 ただし、先ほど説明した畳岩下部の空間とこの窪みの道は少しずれている。これには、必ず意味があるはずである。これを明確にするには古代人と同じように、冬至の日に夜中にこの山に登り、日の出を待って観察するしかない。 |
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【岩の道 北西から撮影】Photograph 2017.3.18 |
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【岩の道 南東から撮影】Photograph 2017.3.18 |
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【岩の道と船岩と第2の船岩の位置関係】Photograph 2017.3.18 |
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【中心石】Photograph 2014.10.19 |
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【まとめ】 |
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これらの一つ一つの岩も興味深いが、なにより驚愕したのは、この巨石群のほとんどの岩石の下に空間があり、岩の底面を見せていることである。 岩の道を歩きながら、そのような岩石を見ていると、岩の重力が無くなり、浮遊している錯覚に陥ってしまう。 まるで映画アバターの浮き岩のシーンやラピュタの浮遊石の世界に迷い込んだかのようである。 いろいろと巨石群を見てきたが、こんな感覚は初めてである。 みなさんもこの場所に立って確認してみてほしい。 「岩神神社が脳の病気に霊験がある」とされているのも、昔にこのような感覚を受けた人がいたからではないだろうか。 そして、おそらく、古代人も同じようなことを感じたに違いない。それこそがこの巨石群を造った意図ではないだろうか。 岩神神社は、古代人が岩石の高度な加工技術とバランスを保つ石組技術を子孫に伝授する場所であり、さらにそれは重力制御技術にもつながっているのかもしれない。 |
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【地図上の位置】 2017.3.26 平津豊作成 |
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【岩神神社の岩石配置図】2017.3.26 平津豊作成 |
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2017年3月26日 「岩神神社のゆるぎ岩」 平津豊 | ||
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