鳴石

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 Share (facebook)  Report 1990 平津 豊 Hiratsu Yutaka

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長野県の蓼科牧場の門の前を左に200メートルほど入った林の中に鳴石といわれる石像がある。
この付近には、祭祀遺跡が多数あり、その一つといわれている。私が訪れたときは、霧雨が降るあいにくの天気であったが、その天気が幻想的な雰囲気を演出し、霧の中から突如現れるこの岩の不思議性をより増加させていた。そういえば、このあたりは雨境峠と呼ばれている。
                              【鳴石】
この雨境峠を中心とした祭祀遺跡群には、他にかき引き石というものも存在するようだ。
学説的には、この鳴石とかき引き石は古代人が神聖視した巨石で、神降臨を願うため滑石製の勾玉・剣・鏡等を奉じる盤座として使われたとされる。
また、かって鏡石とも呼ばれたが、打つと神秘的な響きの音を出すことから鳴石と呼ばれるようになったらしい。
実際に、小石で叩くと、金属音がする。石の音ではない。この鳴石の構造が特殊なのか、それとも材質が特殊なのか、なんとも不思議だ。

立科山略伝記には「風強く吹けば。この石が鳴り雷雲たつ。或る時、石工が玄能にて、この石を割らんとすれば、山鳴り谷にこたえて震え火の雨降り、石工は悶死する」とある。
この伝記にも火の雨という表現が出てくる。万治の石仏(ジジ穴・ババ穴)にも火の雨の言い伝えがある。諏訪地方に、昔火の雨が降ったのだろうか。火の雨とはいったい何を指すのであろうか。

この鳴石を見て、最初に頭に浮かぶのは、奈良飛鳥村の亀石だろう。非常に良く似ている。
こちらの方は、顔の部分がぼやけているので亀石という名はつけられなかったようだが、そのくちばしの形や目の形など、同じ思想で作られたものとしか思えない。
さらに、この横腹の部分だが、削り取られているように見えないであろうか?。他の部分に比べてあまりにも雑な造作になっているのだ。
飛鳥村の亀石も後ろ足の部分が削りとられていた。
後世の誰かが、何かを隠すためにわざと削り取ったのではないか。それがあっては、困るもの。それがあっては亀という説明が通らなくなるもの。
火の雨、金属音、ピラミッドに関係する鏡石という古称、飛鳥村との類似・・・
私は、そこに大きな翼を想像してしまうのだが。
(Photograph 1990)

補足:2022/08/14

長野の聖山である蓼科山の北側6キロメートルの雨境峠に、鳴石(なるいし)と呼ばれる岩があります。

私が訪れたのは2006年でした。濃い霧の林を歩いていると、突然目の前に生き物のような岩が現れたのを覚えています。

雨境峠一帯には祭祀遺跡が多く発見されており滑石製の勾玉などが多く出土しています。鳴石の発掘調査によると鳴石の周りは小さな石が敷き詰められ、祭壇状の石が発見されています。この祭壇石から鳴石に向うと、その先に蓼科山が望めることから、蓼科山の神をこの鳴石に降ろして奉斎していたのでしょう。 

楕円形の2つの岩が重なっていて、表面は滑らかです。形状は明日香村の亀石に非常に良く似ています。

この岩は、蓼科山の溶岩が固まったものですが、周りには大きな岩石は無く、別の場所から2つの岩を運んで、ここに重ねて据えたものと考えられています。周りに大きな岩石は無いと書きましたが、この鳴石の西10メートルの所に同程度の岩が存在しています。この岩も鳴石と同じく祭祀されていたと推測されています。

鳴石を軽く叩くと、キーンという金属音がします。鳴石の成分に金属分が多いのだと思います。

金子詮寅が1758年に書いた『信陽佐久立科高井飯盛山嶺麓 直田八箇略誌』には、次のように記載されています。「麓に鏡石と言う奇岩あり。鳴石ともいう。大きさ六七尺なる大石なり。石肌鏡の面の如し。是権現の御宝石と言伝えたり。昔時、石工来り、此石を割らんと欲して、玄能を以て二つ二つ之を打つ。時に山鳴り谷答えて山中震動す。忽ち火の雨を降らせ、石工之が為に死すと。故に人打つことなし。試みに小石を以て之を打つ時、其の声金磐の鳴るが如し。是又奇石なり。」

「火の雨が降る」という言葉は、この地方の岩石遺構に共通する表現で、私は過去に火の雨が降るという災いが実際に起こったのではないかと考えています。