佐太神社と万九千神社 |
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Report 2008.8.3 平津 豊 Hiratsu Yutaka | |
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旧暦の10月を神無月と呼ぶが、出雲地方では神々が集まる月であることから神在月と呼ぶ。 まず出雲大社で、稲佐の浜で神迎えの儀式が行われ、出雲大社の十九社で神々が神議(カミハカリ)つまり五穀豊穣、産業の繁栄、世の平和、人々の縁結びの話し合いをする。 次に神々は、佐太神社に移動して神議の続きを行う。そして、神々は万九千神社に行き、神送りの神事を最後にそれぞれの国に帰国することになっている。 佐太神社は、出雲大社にひけをとらないほど広い境内と社殿を構えた神社で、三殿が並立しためずらしい造りとなっている。この神社に祭られている神は、中央の社に、佐太大神、伊弉諾尊、伊弉冉尊・事解男命、速玉之男命。右の社に、天照大神、瓊々杵尊。左の社に、素盞鳴尊、秘説四座。合わせて十二もの神々が祀られているとされている。これはいかにも豪華すぎる。また、異説も沢山あり近年整えられたものにすぎない。本来は、佐太大神のみが祀られていたと考えられている。この佐太大神とは何者か、については、「狭田国(サダノクニ)」の祖神であり、「サダ」とは島根半島を指すと考えられている。社の正式な由縁では、佐太大神は古事記に出てくる猿田毘古(サルタヒコ)であるとしているが、これは明治に松江藩から命じられ受け入れたことで、別神である。おそらく佐太大神は、出雲の土着の神で、明治時代に天津神に関係する神でよく似た名前の神をあてがったものと考えられる。 神有月の頃、海から尻尾に斑紋のある海蛇があがる。これを「龍蛇神」と呼び祀る習わしがある。一方、古事記には、海を照らして光り輝きながらわたってきた御諸の神、つまり三輪大神が大国主の国づくりを手伝ったとあり、この三輪の神は蛇に化身する神であることから、この風習と一致する。 つまり、佐太の神も蛇にまつわる神である、大国主は大穴牟遅(オオナムチ)の別名を持っておりナムチは蛇を表わす。土着の神=国津神はこのように、蛇と深い関係をもって表現されることがある。 |
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【佐太神社】 (Photograph 1991) | |
この佐太神社は、出雲大社と並ぶ風格を備えた神社なので、ここで神在祭が行われるのは、わかるが、神々が帰っていく「神等去出」(カラサデ)を行う重要な神社が万九千(マンクセン)神社であることが奇妙である。万九千神社は、立虫神社の摂社として設置された小さな神社となっている。神立という地名や神立橋があることなど重要な場所であるはずなのに、立虫神社に居候している。 神等去出の夜は、静粛にし、外出もせずに神々を見送る風習がこの地元には残っているらしい。神秘的である。 九千神社は、もともと神代(カムシロ)神社であったらしい。これが、紆余曲折し、出雲国造の千家とつながりの深い立虫神社の摂社となっているところに、深い意味を感じる。これらの複雑さは、現在もなおこの出雲の地で国津神と天津神の戦いが続いているからだろうか? そんな現在の九千神社だが、訪れた時、その境内は綺麗に掃き清められていたことが印象的だった。 |
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【万九千神社】 (Photograph 2008.8.3) | |
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