高御位山 |
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Report 2009.9.22 平津豊 Hiratsu Yutaka | ||
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兵庫県加古川市志方町と高砂市阿弥陀町長尾の境界に高御位山(たかみくらさん)がある。 加古川流域には高い山がなく、この高御位山が最も高い山であり、播磨平野にそびえている。地元では元旦の初日の出を高御位山の山頂から眺めるのが風習となっていて、ハイキング登山としても有名な山で、休日にはハイキング客でにぎわう場所である。しかし、この高御位山には、もっと神秘的な物語が秘められている。 我々は、加古川志方方面から登り始めた、登山口には駐車場があり、少し登ると左手に高御位神宮がある。戸は閉められ何の変哲もない建物であるが、この神社は九鬼神法の秘儀が行われる場所である。 九鬼一族は、天孫降臨の際の宰相神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祖とし、天皇家の祭祀を司っていた藤原家に繋がる熊野別当の宗家である。後醍醐天皇が吉野に落ちのびようとしたとき幕府側の追っ手から鬼のような活躍で三種の神器を守ったことから、九鬼の姓を賜ったという。 戦国時代には、織田信長、豊臣秀吉に仕えて、九鬼水軍として活躍する。 この九鬼一族には、九鬼文書といわれる謎の文書が伝えられている。 |
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【登山途中から高御位山頂を望む】 | ||
【高御位山頂から播磨平野を眺める】 | ||
【高御位山頂の磐座】 | ||
九鬼文書は、天児屋根命、天種子命、天中押別命および大中臣牟知麿が神代文字で書き伝えた文書を、藤原不比等が漢字に訳し、藤原家と九鬼家がさらに書き足してきた合作であり、歴史から兵法や芸術に至るまで書かれた古代の百科事典である。 しかし、特記すべきはその歴史書の内容である。宇宙創成から人類史まで全世界規模の驚愕な物語が書かれている。ノアもイエスも釈迦も登場する竹内文書に似た万教同根の歴史書で、古事記・日本書紀と決定的に異なるのは、スサノオの出雲王朝を正統としている点である。 この九鬼文書と言えば大本教(正確には大本)との関係も無視できない。大本教は丹波の綾部の霊能力者出口ナオのお筆先と呼ばれる自動筆記と出口王仁三郎の神懸りによって大きくなった宗教団体で、1921年と1935年に政府による宗教弾圧事件が起こり壊滅する。 弾圧後、生長の家の谷口雅春、世界救世教の岡田茂吉、神道天行居の友清歓真、心霊科学研究会の浅野和三郎、合気道の植芝盛平など多くの高弟たちがこの大本教団を離脱して活躍する。新興宗教史の要に位置する教団である。 |
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【高御位山から未申(南西)方向に上島(神島)が見える。】 | ||
【高御位山頂の天乃御柱天壇】 |
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出口ナオは艮の金神(うしとらのこんじん)の啓示を受け、この神が世に出ることによって世の中が改まるとした。この神は出口王仁三郎によって国常立神(くにとこたちのかみ)と解釈され、地球を創った国常立神は、世界統治に失敗した責任をとって隠れ、世界を救うための救世主としてスサノオを使わしたというのが、大本教の国祖神隠退再現神話とスサノオノミコト救世主説である。これは、九鬼文書と符合する。 九鬼文書の鬼門祝詞には、宇志採羅根真大神(うしとらのこんしんおおかみ)が出現し、「天之御中主之神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産霊神(たかみむすびのかみ)、神御産霊神(かみむすびのかみ)、伊弉諾神(いざなぎのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月夜見大神(つくよみのおおかみ)、建速素戔鳴大神(すさのおのおおかみ)」を統合したものとされる。大本教は、スサノオを救世主とし、九鬼文書は出雲王朝を正統とする。王仁三郎は、神道、道教、回教、仏教、キリスト教などを統合することを目論んでおり、これは九神文書の万教同根に繋がる。 出口王仁三郎は、坤の金神(ひつじさるのこんしん)が幽閉されているとして高御位山の対岸に位置する神島の島開きを行った。 また、出口王仁三郎は、高御位神宮で九鬼神道のトレーニングを受けたとも言われ、九鬼文書と大本教がこの高御位山で交差する。この高御位山が特別なスポットであることは間違いない。 高御位山頂には、九鬼家が奉納した。「天乃御柱天壇」と書かれた真新しい石柱が建てられている。これは、九鬼文書で万国統治の神とされる天之御中柱天地豊栄大神(あめのみなかはしらあめつちとよさかおおかみ)を祀るという意味であろうか、さらに祭壇下部には、「天君再臨霊界粛清」と書かれている。救世主が高御位に現れることを意味しているように思える。九鬼一族は、今もこの高御位山を重要な場所としていることがわかる。 |
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【高御位山頂の高御位神社】 | ||
【高御位山頂にある古代祭祀跡】 | ||
【高御位山頂にある古代祭祀跡】 | ||
山頂には高御位神社があり、神社由緒によると、欽明天皇10年に創立、昭和58年に焼失後、再建されている。大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が祭神で、天津神の命を受け国造りのために大己貴命と少彦名命が降臨した所とされ、今もなお庶民の崇敬を集めている。 したがって、昔はこの山全体を御神体とする最も古い崇拝形式をとっていたと推測できる。人工的な石組みや穴もあり、古代人がこの山を崇める時に使用した古代祭祀跡と説明されている。 案内板には、千二百年前に大国主命(おおくにぬしのみこと)が降臨した場所とある。もちろん大国主命=大己貴命であり、国津神系の主神である。 近くには、石の宝殿と呼ばれる不思議な場所がある。ここにも大己貴命と少彦名命の言い伝えがあり、この辺りに何らかの出来事があったと考えられる。案内板の千二百年前はあまりにも近すぎて信じられないが、古代に起こった出来事とは、何であったのか、私は、石の宝殿の奇石とも合わせて、高御位を中心とした巨大な祭祀施設つまりピラミッドを作ろうとしたのではないかと考えている。 しかし、それも全て、高御位山が古代から神聖な場所として崇められていたからであり、そのさらに信仰の中心は、大国主命が降臨した場所とされている磐座(いわくら)である。 まるで空に突き出たかのような岩で、この岩の上にオオクニヌシが座り、眼下を見渡していた姿を想像すると、絵になる。まさに神が降臨する場所としてふさわしい。 ただ、その神聖な磐座の上にハイキング客が座って弁当を食べているのには、幻滅してしまう。磐座は注連縄で立入り禁止とし、神聖な場所として欲しいものである。 |
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【高御位山頂の磐座】 | ||
(Photograph 2009.9.22) | ||
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