神魂神社

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 Share (facebook)  Report 1991 平津豊 Hyratsu Yutaka

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神魂(カモス)神社、なぜカモスと読むかというには、諸説があるが、神座所=カミイマスが転じてカモスとなったというのがしっくりくる神社である。
1583年の再建で日本最古の大社造りの神社で国宝、出雲大社もこの神社を基に設計されたとの説がある。
古いが非常に重厚で、格式の高さが感じられる神社である。
その様式は、出雲大社(男造)とは対照的な(女造)となっており、屋根の上の千木も水平に切ってある。これは、伊弉冊大神(イザナミノオオカミ)を御祭神としていることに関係するのかもしれないが、むしろ出雲大社との対比の方がその意味は強いのではないかと思える。
この神社の創建は、天穂日(アメノホヒ)の神となっている。古事記によると、天穂日とは、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が、葦原の中つ国を、わが子の天忍穂耳(アメノオシホミミ)に譲るように大国主の所に遣わした最初の神で、天照神を裏切って帰らなかった神である。
この天穂日は、不思議な神で、天照神を裏切ったのに、その子である建比良鳥(タケヒラトリ)が出雲大社の祭主である出雲国造の祖先となっている。天穂日の次に、大国主の所に遣わされた天若日子(アメノワカヒコ)は、天照神を裏切ったため殺されているのにだ。
いづれにしても、大国主を祀る出雲大社は、大国主の一族ではない、天穂日の一族(千家・北島家)が祭祀を行うことになっており、これは大国主の祟りを鎮める役目を続けているとも考えられる。
【境内にある洞窟】
境内に気味の悪い洞窟と不思議な注連飾りがあった。
また、この神魂神社には、天穂日が高天原から降臨した時乗ってきたと伝えられる古い釜があり、12月にお釜神事が行われる。まるで空飛ぶ円盤のような話だが、高天原の乗り物には、岩船、鳥船など不思議なものが多い。

(Photograph 1991)


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