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post to my website in 2022.4.10  平津 豊  Hiratsu Yutaka

尾道の巨石群

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はじめに

広島県尾道市は、年間670万人もの観光客が訪れる観光都市である。
海岸沿いに東西に細長く伸びた尾道は、山と尾道水道に挟まれて平地が少ない町である。
それ故に坂道が多く、寺社と民家が混在した迷宮のような路地が形作られている。
「時をかける少女」に代表される大林宣彦監督の尾道三部作は、レトロ感が漂う尾道をロケ地に選んだ事により、作品にノスタルジアが加わり、大成功を収めたのである。
最近では、しまなみサイクリングを楽しむ若者で賑わっている。

筆者は、2014年6月に、篠澤邦彦氏が企画されたツアーで、尾道の巨石を案内していただいた。
その後、2014年10月と2017年9月に訪れた。特に2017年は、稲田全示氏と面会し、巨石談義を行って楽しい時間を過ごさせていただいた。
稲田全示氏は尾道市大学の教授で、学生達とともに尾道の巨石群をくまなく調査し、その結果を『隠された神話』という書籍で発表されている。

千光寺の玉の岩

広島県尾道市の千光寺は弘法大師が806年に開基したと伝えられ、源氏の武将である多田満仲が中興となっている。
ご本尊は33年に一度だけ開帳される秘仏、千手観世音菩薩である。
この千光寺には巨石群が存在しており、磐座信仰のあった山に寺院が建てられたものと考えられる。

本堂と大師堂の間に、ひときわ目立つ三角形の巨石があり、玉の岩と呼ばれている。
玉の岩の頂上部には、直径14センチ、深さ17センチの穴があいているそうである。
現在は、電灯が載っているが、昔は、ここに宝玉がはめてあり、夜になると光って行き交う船の安全を見守っていたと伝わる。
次のような伝説が残っている。

「昔、むかし、そこには美しくかがやく石があったそうな、皆ありがたがって拝んでいたんじゃそうな。それを聞きつけた中国の皇帝が、それがぜひ欲しいということで使いをよこしたそうな。その使いはその玉を盗んだまではよかったが、あわてていて尾道水道に落としてしまったそうな。」  ----『隠された神話』より

この伝説から、尾道の海を玉の浦と呼ぶようになったとの事である。


◆写真 【広島県尾道市 千光寺の玉の岩】 Photograph 2014.6.7

さらに、鏡岩が玉の岩の明りまたは朝日を西國寺山頂のタンク岩に反射させたという伝説も残っていたが、この鏡岩の所在はわからなくなっており、伝説に過ぎないと考えられていた。
ところが、2000年に、寺院の裏側の大松が枯れて手入れをしていたところ、直径2メートルの円形のノミの跡が現れた。これが鏡岩であり、俄然、伝説の信憑性が高まった。


◆写真 【広島県尾道市 千光寺の鏡岩】 Photograph 2014.6.7

未確認ではあるが向島の竜王山の頂上にも玉の岩があったという噂もあり、これが真実ならば、どのような目的のためにこのような仕組みを作ったのであろうか。
一つの可能性として、光を使って遠方と通信を行うという技術、つまり、光通信ネットワークがある。これはイワクラ(岩石遺構)の分類における通信装置にあたる。
同じような伝説は、鬼叫山の神武岩にも伝わっている。 〉葦嶽山ピラミッド2

また、宝玉がどのような仕組みで光っていたのかも不明である。
通信装置に分類されるイワクラ(岩石遺構)の例として、奈良県大国見山頂上の「のろし岩」などのように、周りが見渡せる場所に存在する岩石に、2~30センチの窪みが穿たれていることがある。この穴に油などを入れて火を焚き、狼煙をあげて離れた場所と通信を交わしていたのではないかと考えられている。
このような油が燃える明りを宝玉と表現したのかもしれない。

千光寺の御船岩

下から見上げた形が船の帆に見えることから御船岩(みふねいわ)と名付けられた岩がある。
著者は、この御船岩こそ、千光寺の岩石群の中で最も重要な岩石と考えている。

下から眺めると複雑な岩が積みあがり、頂上部に特徴的な御船岩が据えられている。
特に、御船岩の2つの岩によって形成された曲線の隙間、スリットが重要である。
尾道市大学の稲田全示教授らは、2008年頃に、この曲線に沿って冬至の朝日が昇っていくという現象を発見した。
自然にこのようなことが起る確率は非常に低いため、古代人が意図的に造ったと考えられる。
太陽が最も衰弱する冬至の日に、太陽の復活を願った古代人の様子が浮かんでくる。
この御船岩は、古代人が造った天体観測装置の可能性が高い。


◆写真 【広島県尾道市 千光寺の御船岩】 Photograph 2014.6.7



◆写真 【広島県尾道市 千光寺の御船岩】 Photograph 2014.6.7




◆ 【御船岩のスリットに冬至の朝日が入る様子】 『隠された神話』より



その他の千光寺の巨石群

その他にも千光寺には、名付けられた岩石が存在する。

夫婦岩
2つの立岩からなる夫婦岩。


◆写真 【広島県尾道市 千光寺の夫婦岩】 Photograph 2014.6.7

鼓岩
叩くと「ポンポン」と音がするので、ポンポン岩とも呼ばれている。
この音は、中が空洞であることを示している。
楔の跡(矢穴)は、大阪築城の際にこの岩を運び出そうとした跡である。


◆写真 【広島県尾道市 千光寺の鼓岩】 Photograph 2014.6.7

くさり山
鎖が設置されている岩石で、頂上に石鎚権現を祀る祠がある。


◆写真 【広島県尾道市 千光寺のくさり山】 Photograph 2014.6.7

三重岩
本堂脇にある重なった巨岩


◆写真 【広島県尾道市 千光寺の三重岩】 Photograph 2014.6.7

もう一つの三重岩
庫裏の下にある重なった巨岩。本堂脇のものより大きい。
岩の下部が地面と平行になっており、自然に形成されたとは考えにくい形をしている。


◆写真 【広島県尾道市 千光寺のもう一つの三重岩】 Photograph 2014.6.7


◆写真 【広島県尾道市 千光寺のもう一つの三重岩】 Photograph 2014.6.7


残念ながら、千光寺の岩石は、ところどころにセメントが加えられいて、古代の様子を完全に知ることができなくなっている。
多田住職によると、観光地になっているため、落石を防ぐ処置として、仕方なく行なっているとのことである。


艮神社

尾道で最古の神社。御祭神は、伊邪那岐神、天照大御神、素戔男命、吉備津彦命。
艮(うしとら)という独特の社名が注目されているが、社名は清瀧社、白太宮などと変遷しており、この神社は尾道の産土神社と推測される。

社殿脇の大岩には、注連縄が掛けられており、磐座と考えられる。
岩に触るとビリビリと感じるのでビリビリ岩とも呼ばれているらしいが、著者は何も感じなかった。



◆写真 【広島県尾道市 艮神社】 Photograph 2014.10.25


◆写真 【広島県尾道市 艮神社の磐座】 Photograph 2014.10.25



尾道の3寺院が向島の岩屋山を向いている謎

尾道市周辺には、7つの寺院があり「尾道七仏」と呼ばれているが、中でも千光寺、西國寺、浄土寺の「尾道三山」は、観光客に人気である。
2000年以降、この「尾道三山」について、尾道の人たちが不思議な事を口にするようになった。
千光寺、西國寺、浄土寺が岩屋山を向いているというのだ。

尾道の彫刻家、児玉康兵氏は、2000年に、龍の國・尾道展の図録の論文「隠された古代陰陽都市」にて、浄土寺、西國寺、千光寺が対岸の向島の岩屋山を向いて建設されていると発表した。
通常の神社は南面しているものが多い。南面とは、神社の本殿の入口が南方向に造られ、その先に拝殿、参道、鳥居と続き、参拝者は北を向いて参拝する構図をいう。
中国の「天子南面す」という影響を受けて、北極星つまり天帝を神様として、北に本殿があり神様が南を向いている構図をとっている。
寺院の場合は、釈迦が南を向いて説法を行っていたという説から南面していたり、浄土が西にあることから、東面させていたりする。また、薬師如来は東方、観音菩薩は南方、弥勒菩薩は北方というように、本尊の方位に合わせて建てられる場合もある。
さらに、歴史のある山岳仏教の寺院などでは、聖山を拝する方向に建てられる場合がある。
しかし、この尾道の浄土寺、西國寺、千光寺は、本尊が向島の岩屋山を向くように建てられており、異例中の異例である。



◆図 【広島県尾道市の3寺院と岩屋山の関係】 

浄土寺

西に位置する浄土寺は、616年に聖徳太子が創建したと伝わる。
山門から南を望むと、山門の真ん中に岩屋山が収まって見える。浄土寺が岩屋山に向けて建てられている証拠である。南に向いているため山門が黒い額縁のように作用し、岩屋山が一枚の絵のようである。
本堂の扁額には観龍殿と書かれており、山の中腹から龍が飛び出して、尾道水道に消えた後、百貫島に現れて天に昇っていったという伝説が残っている。
浄土寺の裏の海龍寺には大盤岩(だいばんいわ)と呼ばれる大岩があり、さらに登ると、鎖岩が現れる。この鎖岩は鎖を伝って登ることができる。この山が修験道の山であったことがわかる。



◆写真 【広島県尾道市 浄土寺の浄土寺山】 Photograph 2014.6.7




◆写真 【広島県尾道市 浄土寺】 Photograph 2014.6.7




◆写真 【広島県尾道市 浄土寺の山門から岩屋山を望む】 Photograph 2014.6.7




◆写真 【広島県尾道市 海龍寺の奥の鎖岩】 Photograph 2014.6.7


西國寺

中央の西國寺は、700年代に行基が創立したと伝わる。
仁王門には健脚祈願の大きなわらじが掲げられている。
その仁王門から南を望むと、浄土寺のときと同じように、山門を額縁とした岩屋山が見える。
浄土寺と西國寺はその標高や岩屋山との距離が異なっているが、どちらも山門の中央に岩屋山が位置している。これは、意図して建設しなければ実現しないであろう。


◆写真 【広島県尾道市 西國寺の愛宕山】 Photograph 2014.6.7




◆写真 【広島県尾道市 西國寺】 Photograph 2014.6.7



◆写真 【広島県尾道市 西國寺の仁王門】 Photograph 2014.6.7



◆写真 【広島県尾道市 西國寺の仁王門から岩屋山を望む】 Photograph 2014.6.7

西國寺の境内の金比羅社には重軽天狗という天狗の顔を模った重軽石(おもかるいし)がある。重軽石は、願いを込めて石を持ち上げて、思っていた重さより軽ければ願いが叶うとされる占いで、各地の神社で見られるが、顔が彫られている石は始めて見た。


◆写真 【広島県尾道市 金比羅社の重軽天】 Photograph 2014.6.7


西國寺の裏山には、戦車のように見えることからタンク岩と呼ばれる岩積みが存在する。
尾道市大学の稲田全示教授らの調査により、このタンク岩の周りから人工の形跡が数多く発見されている。

その中でも、写真のような線刻は、興味深い。


◆ 【タンク岩の周りの線刻】 『隠された神話』より



◆ 【タンク岩の周りの線刻】 『隠された神話』より

上の写真の形はシメントリーであり、自然の模様とは考えにくい。人工的に彫られた線刻の可能性が非常に高い。
下の写真は、明らかに人工の線刻である。数万年前のヨーロッパ等の洞窟壁画で発見されている「はしご形」の幾何学記号に類似している。
しかし、線刻が浅いため、岩石の風化速度から考えて、数万年を経ているとは考えにくい。もっと時代は浅いものであろう。



千光寺

千光寺の本堂から南を望むと、やはり岩屋山が正面に見える。
三つの寺院が、岩屋山を真正面に捉えるように建設されている事は、まさに計算されたものといわざるを得ない。


◆写真 【広島県尾道市 千光寺の千光寺山】 Photograph 2014.6.7



◆写真 【広島県尾道市 千光寺の本堂から岩屋山を望む】 Photograph 2014.6.7


また、尾道市大学の稲田全示教授によると、千光寺のご本尊は千手観世音菩薩、浄土寺のご本尊は十一面観音像であるが、西國寺のご本尊は薬師瑠璃光如来とされていたが、近年、観音菩薩像であることが判明し、3寺院が全て観音菩薩で揃ったという。

経文に「観音は突き出た岩の上におられる」と書かれ、岩と観音の関係は意図的である。各地の観音菩薩をご本尊とする寺院は、磐座信仰の聖山を上書きしたものが多い。つまりこの尾道に岩石信仰があったため、3寺院に観音菩薩が安置されたのである。

そして、なぜ岩屋山を向いて寺院を建てたのかという疑問の答えは、岩屋山にある。
これに関しては、別報「尾道向島の岩屋山」で述べている。 〉尾道向島の岩屋巨石


(イワクラハンター 平津豊)

謝辞

本論文を作成するに当たり、資料の提供と現地を丁寧に案内してくださった稲田全示氏、篠澤邦彦氏、多田 真祥氏に深謝の意を表します。


参考文献

1.稲田全示:隠された神話、尾道市役所(2008)
2.平津豊:イワクラ学初級編、ともはつよし社(2016)
3. 薬師寺慎一:吉備の古代史時点、吉備人出版(2012)
4. 尾道観光マップ:岩屋山ミステリーツアーマップ(2017)
5. Genevieve von Petzinger(櫻井裕子訳):最古の文字なのか?、文藝春秋(2016)

2022年4月10日  「尾道の巨石群」  ホームページ「ミステリースポット」掲載



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