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イワクラ基礎知識STUDY

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イワクラ基礎知識

これまで「いわくらとは何か?」というテーマで講演会を行ったり、書籍を出版したり、プログやfacebookに書いてきましたが、よりわかりやすくここにまとめました。

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磐座(いわくら)とは何?


磐座の定義

■磐座
「いわくら」という言葉は、『古事記』、『日本書記』、『大祓詞』の中に現れます。

『日本書記』には、次の一文に「いわくら」という言葉が出てきます。
「于時、高皇産靈尊、以眞床追衾、覆於皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊使降之。皇孫乃離天磐座、天磐座、此云阿麻能以簸矩羅。且排分天八重雲、稜威之道別道別而、天降於日向襲之高千穗峯矣。」
「天磐座」と書いて、「阿麻能以簸矩羅」つまり「あまのいわくら」と読み方が記されています。

これらの文献の中で「磐座」は、神が天上から飛び立つ場所として書かれていますが、神が降り立つ場所は「高千穂峯」とのみ書かれ、「磐座」とは書かれていません。
しかし、今では、「磐座」は、神が地上に降り立つ場所として認識されています。
これは、天上の起点が「磐座」ならば、地上の終点もまた「磐座」であると考えたのでしょう。さらに、日本の神は、天から地上に降臨して、祭りが終わると天に帰っていくと考えられていますので、神が天上に飛び立つときは、地上の磐座が起点となります。つまり、神は、天上の磐座と地上の磐座の間を行ったりきたりすると考えたのです。
このような神が寄りつくもの、憑依するものを「依り代」といいます。
つまり、岩石を主体にした神の依り代が「磐座」です。

「磐座(いわくら)と良く似た言葉に、以下のようなものがあります。
「神籬(ひもろぎ)樹木を主体にして作成した神の依り代のことです。
「磐境(いわさか)神域との境を示すための岩石及び岩石で囲まれた祭祀場のことです。
「石神(いしがみ)岩石を神そのものと捉えるもので、神が依りつく「磐座」とは別のものです。
「神奈備(かんなび)磐座である岩石、神籬である樹木、滝や泉などは山の中にあるので、このような神域を「神奈備山」と称しました。
詳しくは、こちらをお読みください。

磐座の定義  〉



◆写真 兵庫県加古川市 高御位山の磐座


磐座にはどんな種類がありますか?


磐座の分類

■鳥居龍蔵
「磐座」の分類は、先人達によって試みられています。中でも鳥居龍蔵は、日本にまだ考古学という学問が無かった時代に人類学者として、台湾、中国、モンゴル、朝鮮、シベリア、そして日本各地の巨石遺跡の探索を実施しました。
鳥居は、「磐座」に対して、海外の巨石文化論に基づいた形態的分類を行ない、今でも「磐座」を研究する人達に好んで使用されています。

メンヒル Menhir 一本の石を立てたもの 立石
ドルメン Dolmen 数個の支石の上に天井石を乗せたもの 支石墓
ツムルス Tumulus天井石を2枚以上乗せたもの 原始石槨
ケールン Cairn 小石を積んだもの 石積塚
ストーンサークル Stonecirclcle 岩石を環状に並べたもの
ストーンヘンジ Stonehenge 横石が縦石に蝶番のように積んでつなげたもの

この他にも、大場磐雄、小野真一、藤本浩一など先人の分類についてはこちらをお読みください。

磐座の分類 〉



◆写真 韓国のドルメン



磐座とイワクラの違いは何ですか?


イワクラ学会の定義

■イワクラ学会における定義
2004年に創設されたイワクラ(磐座)学会における「いわくら」の定義は、
「イワクラとは、縄文時代から古墳時代にかけて形成された巨石遺構をさす。その時代時代の人間が何らかの意図を持って、その目的や役割に合致するよう磐を人工的に組上げ、あるいは自然の磐そのものを活用したものと定義している。その中でも、特に神社のご神体となっているものを「磐座(いわくら)」「磐境(いわさか)」と呼んでいる。わざわざのカタカナ表記は共通名称としてイワクラ学会が提示していることである。」
となっています。
これまで述べてきたように、「磐座」は『古事記』『日本書記』に登場することから、岩石信仰、岩石祭祀、神道の中で捉えられ、分類や研究が行なわれてきました。
しかし、神社が祀っていない岩石や、考古学が祭祀跡と認めない岩石の中にも、人の手が加わったものや人々が特別視したものが数多くあります。
イワクラ学会は、このような岩石を研究対象に積極的に含めるために、新しくカタカナの「イワクラ」として定義しました。
エジプト、イギリス、南米などに存在した巨石文明が古代の日本にも存在したのではないか、という考えがイワクラ学会の根底にあります。
この壮大な考えに対して「磐座」という言葉では、あまりにも窮屈なので、神の依り代としての岩石や信仰対象としての岩石を「狭義のいわくら」として、漢字で「磐座」と表現し、人工的に組上げたり配置されたりした岩石を「広義のいわくら」として、カタカナで「イワクラ」と表現することにしました。

イワクラ学会が提唱する「磐座」と「イワクラ」の関係をもう少し説明するために、四象限マトリクスで考えてみます。
縦軸に人の手が加わっているかいないか、横軸に祭祀されているかいないかをとって四象限に分けます。
□祭祀されていない自然の岩石(第三象限)は、ただの岩石です。学問としては地質学の研究対象です。
□祭祀されている自然の岩石(第四象限)は、「狭義のいわくら」つまり「磐座」であり、磐座信仰が行われ、代表的なものは神道の宗教施設として組み込まれている岩石です。学問としては民俗学の研究対象です。
□祭祀されていない人の手が加わった岩石(第二象限)は、「岩石遺構」であり、学問としては科学的アプローチをすべき対象です。
□信仰されている「磐座」の中にも人の手が加わっている岩石もあります(第一象限)。祭祀されているので「磐座」となりますが、人工の部分については科学的アプローチも必要です。
「イワクラ」の定義としては、狭義の「磐座」と「岩石遺構」を含めて、第一象限、第二象限、第四象限を広義の「イワクラ」といいます。
このように岩石に対する科学的研究と民俗学的研究が、著者が提唱するイワクラ学です。
◆作図 平津豊

磐座と神社にはどのような関係がありますか?


磐座と神社変遷

古代の日本では、山そのものが神、海そのものが神、あるいは岬、あるいは森、あるいは石そのものが神でした。神の世界とは、この世に存在するものの総称であり、すべてのものの中に霊魂が宿っていると考えました。森羅万象が神の体現であり、生命は神の分霊と考えられ、人間もまた神のある景色の一部でした。これは神道の八百万(やおよろず)の神々という考えにつながっていきます。

■山上磐座の前で祭祀を行なう時代 山宮
自然崇拝によって、山そのものが崇拝対象となります。
そして、山の上や中腹にある岩石つまり磐座の前で祭祀が行なわれるようになります。
このとき、重要な位置にある岩石や特徴的な形をした岩石が選ばれたことでしょう。
太陽祭祀も行なわれていたと考えられますので、冬至の夕日が差し込む岩屋や、夏至の日の出が反射する岩石なども磐座に選ばれたと思います。
磐座の上部や前面に小さな社を建てる場合もありました。これを山宮といいます。

■山上の磐座より離れて麓に社を建てる時代 里宮
時代が下ると、生活の場が山から森に移り、山の麓から山上の磐座を遥拝するようになります。
この場所が鎮守の杜(もり)です。
また、稲作の広まりとともに、収穫を祈る祭り(春祭)と収穫に感謝する祭り(秋祭)が行なわれるようになると、春に山上の磐座から神が里に降りてきて田の神となり、秋に山に帰って山の神になると考えるようになります。
そして、里に神を迎える社が建てられます。これを里宮といいます。
また、この頃に、神に名称を付けるという人格神祭祀も始まったのではないかと思います。

■人が多く住む場所に神社を建てる時代 田宮
さらに時代が下ると、人々は山里から平地に生活の場を移し、それにつれて祭祀の場も山の麓から離れます。
人々が生活している平地に神社が建てられ、生活の場に神が常に存在することになります。これを田宮といいます。

■山の中の磐座が忘れ去られる時代
神話の形成と人格神の確立により自然崇拝や磐座信仰は薄れていき、神の依代として、人の製作物である鏡や剣が本殿に置かれ、御神体となります。
神社の社殿は、鎌倉時代頃から、立派になっていきますが、祭祀の本質は変貌していったのです。

磐座と神社変遷 〉




◆作図 平津豊

  • イワクラに関する基礎知識をまとめた結果を一覧で掲載しています。

  • 磐座の定義  〉 2022年3月27日  磐座(いわくら)とは何か、神籬、磐境、石神、神奈備とは何かを説明しています。
  • 磐座の分類  〉 2022年3月27日  磐座について、鳥居龍蔵、大場磐雄、小野真一、藤本浩一の分類、及びイワクラ学会の分類について説明しています。

本記事は、『イワクラ学初級編』平津豊著、ともはつよし社(2016)より抜粋してお届けしています。





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